心理学の巨匠の生活。「アドラー心理学入門 よりよい人間関係を作るためには」
2020/4/30 PAGE20
こんにちは。はりー(id:HollyWoodLog)です。
新型コロナの影響で多くの人や店が自粛ムードですね。
今日の昼にテレビで流れていた、兵庫県のパチンコ屋に並ぶ人に大きな声で「自粛」を訴えかける一人の男性のニュースですが、最早どっちもどっちって感じがすごいですよね。訴えかけるあの人も、外に出ることを自粛したほうが身のためだと思います。
さて、今回読んだ本は、岸見一郎さんが書いた
「アドラー心理学入門 よりよい人間関係を作るためには」です。
以前に紹介した「嫌われる勇気」と書かれている内容が多く一致してます。
しかし、この本にはアドラーの学生との向き合い方や心理学を学んだ経緯、医者になった理由など、アドラーについて多く語られているので、今回はそこをピックアップして紹介します。
1. アドラーってどんな人?
1870年、アドラーは6人兄弟の中で2番目生まれました。
父が穀物商でユダヤ人であったために、比較的裕福な家庭でした。また、様々な権利が認められている地域に生まれたために迫害を受けることなく、ユダヤ的な色彩が少ない人物でした。
また、アドラーは医者でもあるのですが、医者になる決心をした理由は、一歳の弟が病気で亡くなったり、アドラー自身が貧弱で病気にかかりやすかったからだといわれています。また医者であるために、第一次世界大戦に軍医として参加していた過去もあります。この体験をアドラーは、「苦痛であり、眠れぬ夜を過ごした」と叙述しています。
また、アドラーは有名な心理学者「フロイト」に気に入られ、有名になった人間です。しかし、最終的には学説的にアドラーとフロイトは対立していくのでした。
そしてフロイトのもとをアドラーは、「自由精神分析学会」改め「個人心理学会」を1912年に設立しました。これは、人間自体が分割できない全体であり、統一されているものである、という意味から来ています。
学会を設立したのはいいものの、第二次世界大戦がはじまり、ナチズムによる迫害を恐れたアドラーは、アメリカに拠点を移し、大学の教授になります。
そして、1937年5月、67歳で息を引き取ります。
アドラー自身は、収容所に送られなかったものの、ほかの多くが収容所に送られたため、アドラー心理学はアウシュビッツで滅びたといわれていました。
しかし、戦後に弟子であるルドロフ・ドライカーズがアドラー心理学を発展させていきます。
人としてのアドラーは、医者で開業していましたが、高い診察料を取らなかったし、中には払わない人もいました。アドラーは地元愛が強く、偉そうにせず真摯に対応していました。
また、アドラーは授業後に、生徒から熱心に質問されるのが好きでした。場所を変え、様々なところで議論を行いました。専門家に対してではなく、一般の人にわかりやすく講義をつとめていたといわれるのも容易に想像ができます。
アドラーは著作は多く残しませんでした。理由は著作には、伝えたい大事な部分もすべて平たんになってしまうことを嫌ったからです。しかし、多くの論文は残していたので今のアドラー心理学の発展に大きくつながったとされます。
2. おすすめする人
今回の本は、アドラー心理学を知らない人に向けてお勧めします。
もしかすると、「嫌われる勇気」などほかのアドラー心理学に関する本を読んでる方には物足りない感じや既視感を与えることがあるかもしれませんが、心理学の創設者であるアドラーの歴史について詳しくかいていますので、そちらをお楽しみください。
hollywoodbooklog.hatenablog.com
3. 最後に
いかがだったでしょうか。今回は、アドラー心理学ではなくアドラー自身に注目してみました。アドラーの人となりが知れたことで、アドラー心理学への深みもより、ましたかなと思います。
新書ですので、値段もかなりお安くなっています。
コロナの影響で空いた時間にでも、皆様ご覧ください。
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それでは、また。